2019年4月7日日曜日

[放送後記] 長岡裕也 五段を迎えてのトークライブ 「羽生善治 × AI」

ようやく春らしい陽気を迎えた東京は、朝から晴れて気持ちが良い。
2019年4月6日、つい先日には新しい元号が発表され、人々は平成の振り返りと新しい時代への期待とが入り交じる日々を過ごしている。

平成を代表する棋士といえば「羽生善治」と答える人が多いかもしれない。羽生善治氏は1985年12月18日にプロデビューを果たしている。平成が始まるのは1989年。羽生氏は昭和生まれ・昭和デビューではあるが、1990年(平成二年)に竜王タイトルを獲得してから快進撃を続け、平成30年末に竜王タイトルを失うまでの間に99期ものタイトルを保持したことからも、平成は羽生の時代と言っても過言ではなかろう。

今まで事あるたびに羽生氏は分析された。
各界の一流人が対談し、脳科学者はMRIで羽生の脳をスキャンした。
それでも彼の勝負強さがどこから来るものなのかは解明されることはなかった。
しかし、近年の将棋ソフトの著しい進化により将棋は数値化されるようになり、羽生の将棋も徹底的に研究される対象となった。今まで棋士が束になっても分かることが無かった羽生の一手、あるいは究極の一手が解き明かされつつある。かつて、羽生にだけ見えていた世界が、AI によってこじ開けられつつあるのだ。

誰しもが知りたい羽生善治の強さを間近で長く感じている棋士がいる。
テレビ番組で「羽生の右腕」として紹介され、10年にも及ぶ VS (ブイエス - 1:1 での練習将棋) を続けている相手、長岡裕也 五段である。

羽生善治との対局はそれが非公式といえども誰しもが望むものである。
「羽生善治 × AI」の中でも触れられているが、「なぜ長岡裕也が?」ということについては羽生本人に直接聞くのは無粋というものだ。だが羨む周囲が大いなる推測をしても構わないだろう。

今回のトークライブの開催にあたって、長岡五段の要請により異例の事前準備が行われた。いつもは棋士・女流棋士が当日来てパッとやるというスタイルで、運営側だけの準備だけで足りている。だが長岡裕也は完璧を求めた。2週間前に3時間に及ぶ打ち合わせで内容のすり合わせを行い、4800字の進行台本に目を通した。私たちは打ち解け、慣れ、余計な探り合いは不要となった。



この真摯に向き合う姿勢が羽生の心を動かしたのかもしれない。
なんとなく、私はそう思った。


番組の様子は YouTube のアーカイブを観ていただければと思う。



番組内で紹介された本
勝負師と冒険家―常識にとらわれない「問題解決」のヒント

生放送終了後は会場からも多くの質問があがり、一つ一つに対して丁寧に回答いただいた。
「羽生先生に本について報告しました。"長岡君が書くの?"と2回聞かれました。」の件は面白い。
そして、「羽生先生は読んでいないと思います。普通、読まないですよね?(笑)」ということで、読んでいないだろうという見立てです。

トークが終わり、丁寧にサインを行い、その間には台湾で行われている叡王戦の様子も気に掛けつつ、全ての予定をこなすと午後11時を廻っていた。

「羽生先生は神ではないですよ。人間です。当たり前のことを積み上げていくことに強さがあると思います。」

羽生の右腕は、そういって笑う。
私たちは、その「当たり前のこと」が高度で膨大であることを知っている。それを続けることがいかに難しいことであろうことも想像できる。

AI が将棋の解明を手助けをし、羽生だけが見えていた世界が羽生だけのものではなくなりつつある。それを一番感じてるのが羽生本人であり、その変化を感じているが長岡裕也である。

いつか将棋は暗記と計算のゲームになってしまうかもしれないという憂慮は、第一線で戦うプロ棋士の多くが持っているかもしれない。この10年とこれから先の10年は近似値的に比例するグラフを描くがごとく進むか、あるいは更に加速していくのか。将棋の魅力は褪せることは無く、人々は盤上の戦いに心奪われ続けるのだろうか。

今を記憶しよう。 もがき、熱中し、探った日々を記憶にとどめよう。
いつか時代は変わり、多くは過去の記憶をも消し去り無かったものとして扱われる。
だからこそ、今をしっかりと記憶に焼き付けよう。私たちが羽生善治と歩んだ平成、そして、その記憶を確かに裏付けてくれる書籍と共に。
「羽生善治 × AI」と共に。

(文 @totheworld)