彼を棋士だと知らない人は、彼のことを棋士だと推理することはできないだろう。見るからにフットワークが軽そうであり、その健康そうな体躯で、高校の体育教師とも思えるような風貌である。豪快というには雑さがなく、繊細というような華奢さがない、体育会系というほど汗臭さもなく、スポーツマンと表現した方が良いかもしれない。
盤上では戸辺攻めの異名の通り、常に攻めの手筋を考えている。ということは、見た目からは想像もつかないほどにギラギラした心を持っているのかもしれない。
将棋の棋士ほど内面が分からない人種はいないだろう。
もし相手が何を考えているのかが分かることができたら、棋士はまず対局相手の読み筋を知りたがるだろうし、それができないのなら表情、仕草から読み取ろうとするだろう。自分の知能に絶対的な自信を持っている者同士の戦いは、ほんのちょっとの事がきっかけて勝負がつく。そのほんのちょっと、1ミリにも満たない何かを探すことができるのも、一つの特殊能力かもしれない。
さて、戸辺七段は放送を見ていただいた方は分かるだろうし、そもそも彼を知っている人間も多いのだが、屈託のない笑顔で、「いや、脳内に将棋盤無いっすよ~」と観客を笑わせる。「だって目があるんですよ、盤を見ればいいじゃないですか」いや、その通りではあるのだけれど、それでプロとしてやっていけるのだろうか?いや、それは彼のハッタリかもしれないが、こんなことで誤魔化すような人には見えない。
短い時間ではあったが戸辺誠七段と話をしていて感じたのは、腰がはいった、あるいは、芯がある、という印象である。これだけ軽妙に話をしているのだけれども、将棋においては曲げられない何かを持っているという感触を受けた。いや、棋士は皆、そうなのかもしれないのだけれど、それぞれにその印象は違う。戸辺七段の場合は、いうならばリゾットだろう。芯が残ったお米。いろいろな味付けがされ、具材と一緒に炊きこまれた柔らかいお米なのだけれども、自分のアイデンティティは、芯として残っていて、食べる者にそれを感じさせ記憶させる。
笑顔で話す彼を見ていて、何か海風のような爽快感を感じたのは私だけではないだろう。
軽快なスイングは、爽快な風を起こす。
竜王戦4組、順位戦B2、30歳。内に秘めた大きな野望は無くしていないだろう。
「本も出したし、あの棋士との対局になった時も中飛車で行きますよ!」
ロマンとファンサービスも忘れない男。
戸辺攻め炸裂を見たい。いや見せてくれ。
イベントの最後に、本当に丁寧に色紙に揮毫をする。
戸辺先生に了承いただき、その様子を天カメで撮影し皆で見た。
棋士を対面にして見るのとは、また違った趣がある。
また応援する棋士が増えた。
また将棋が面白くなる。
そんなトークライブとなった。
(文: @totheworld)
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